「ただより高いものはない」って本当?どういう意味?

「ただより高いものはない」とよく言われますが、言われるたびにちょっと疑問に思っているんですよね、「一体どういう意味で使っているのかな?」って……

それもそのはず、「ただより高いものはない」ってなん通りか意味があるみたいなんです!

ここで「ただより高いものはない」という言葉の意味とその使われかたを整理してみたいと思います。

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「本当の意味」というよりも「現代ではどういった解釈がされているのか」ということで調べました。
いくつかのこの言葉の捉え方があったので、人によっては違う意味で使っていることがあるということですね。
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目次

どういう意味があるの?

日常会話で「ただより高いものはない」と使うようなときには、何種類かの意味があるようです。

まずはその意味についてみてみましょう。

「無料」から入る販売戦略

よくお店やテレビCMなどで見かけることが増えた「無料」の文字。デパートの試食なんかも無料ですよね。

「無料だから……」というつもりが、結局最初は購入する予定では無かったものを買ってしまった、という戦略などに対して使う場合があるようです。

「無料」という「恩」が高くつく

友人や知り合いにただで何かをしてもらうと、あとから何かを頼まれたときに断りづらくなってしまったり、お返しやお礼をするために結局お金がかかってしまうという場合にも使われるようです。

日常会話ではこの意味で利用されることが一番多いのではないでしょうか。

「ただでもらった」などと言うと「恩を売られたら、あとで大変な思いをするんじゃないの?」といったニュアンスで言われることが多いように思います。

尊いものほど「無料」

本当に尊いものは無料(値段がつけられない)という意味があるようです。

日常からこの意味で利用していることは少ないのではないかと思うのですが、自分の身体や自分の命や時間といった、ただで手に入れたものほど、値段がつけられないほどに尊いという意味のようです。

これらには自分の体のように目に見えるものから、自分の時間や感情といった目に見えないものも含まれるようです。

どんな風に使われるの?

「ただより高いものは無い」という言葉にはいくつか意味がありますが、実際にはどのような使われ方をするのか見てみましょう。

「販売戦略」のように裏があるのでは?と疑う

無料でなにかをしてもらうときには、なにか目的があるのではないか?と言うときに「大丈夫なの?ただより高いものはないっていうよ?」なんて使われます。

実際には「お持ち帰りを目的にして女性にお酒をおごる」など、完全に裏がある場合があるので注意が必要ですが、最初から「あとで○○してもらおう」と思っている場合ばかりではありません。

例えば、転職のためにパソコンの使い方を勉強している人に使っていないパソコンをあげることもあるでしょう。

この場合は「頑張ってね」という気持ちがあり、打算的な気持ちからの行動では無いでしょう。

つまりこの場合は、「裏があるのではないか?」という疑いがかけられている場合に「ただより高いものはない」と利用するようです。

場合によってはせっかくの好意を台無しにしかねませんので注意が必要ですね。

単なるひがみやいやみ

第三者から「ただより高いものはないよ」と言われた場合には、ひがみやいやみである場合があります。

「ただより高いものはないよ、わたし(俺)だったらもらわないな~」などというふうに続けば、その色が一層強くなるでしょう。

プレゼントなどをもらいなれていなかったり、人にあげるタイミングがあまりなかったり、無料でものをやり取りする場面があまり無かったのか「お金やものなどは、出ていくから入ってくる」といった循環をイメージできないのでしょう。

人に「良かったね」と言えないタイプの人が、代わりにこの言葉を利用している場合があります。

無料なくしてコミュニケーションは無い!

「ただより高いものはない」とは言いますが、これはただ(無料)が悪いという意味ではありません。

上記のように「裏があることがあるので気を付けよう」という意味合いはあったとしても、「何がなんでもただはダメ!」ということはないでしょう。

なぜなら、無料のものは世の中にあふれていますし、無料なくしてはコミュニケーションはあり得ないからです。

無料のものは思っているよりも多い

例えば友達とごはんを食べにいくとき、食べたごはんの料金は支払っても「今日は時間を作ってくれてありがとう、1時間1000円で良い?」という風にお金が発生するわけでは無いですよね?

友達の時間を使っているのに、それに対しては「ただ」で享受しているわけです。

そうした「ただ」のものがあふれているからこそ、コミュニケーションが円滑に進んでいるのではないでしょうか。

本当にただより高いものが無くて、ただで何かをしてもらうのは避けるべきなら、そうした無料で相手の時間を奪うようなことはしてはいけないはずですし、お得情報や噂話ですら情報料が必要になってしまいますよね。

ですがこれらは「友達といる」ということに時間を使うことによって「楽しい」という感情を得られるので、無料といえども何も差し出していないわけではないというわけです。

本当に「ただ」か考えてみる

無料で何かをしてもらったときに、本当に無料か考えてみましょう。

たとえば、なにか物をもらったとき、あなたは本当に何も返していないのでしょうか。

バッグをもらったら、一度くらい、くれた人の前で使っている姿を見せるのではないでしょうか。

資格を取るためにパソコンをもらったなら、応援してくれている気持ちに応えるためにより一層がんばって勉強するのではないでしょうか。

このように、何かをしてもらったとき何かを返しているなら、これは「ただ」では無いのではないでしょうか。

料金は支払っていないですが、対価は支払っているのです。

こうして関係性を築くことができれば「ただ」ではなく、コミュニケーションになるのだと思います。

まとめ

そう考えると、わたしたちは意識せずに無料で手に入れているものが多くあります。

友達といて楽しいと思う感情は無料で尊いものです。

ただし「無料である」ということと「対価を支払っていない」ということは同じではありません。

無料で何かをしてもらうには、してもらうマナーや礼儀があります。

それを「めんどうだ」と思い「だったら何かしてもらわなくても良い」と考えてしまうのはとても残念なことに思えます。

ひとりでできることには限界がありますから、人間関係を構築していくのはとても大切です。

なにかをしてもらったら「ありがとう」と言う。

「求めていることに応える」「求めていることに応えてもらう」

そういったコミュニケーションが無料の上で成り立っているのが、人間関係というものではないでしょうか。

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