若い人ほど世の中が実力主義だと思ってるよなあ、という話

若い人ほど世の中が実力主義だと思ってるよなあ、という話

社会に出ると「世の中実力だけじゃないな~」と思うことが多々あります。

上司に気に入られた方が良い仕事をまわしてもらえたり、同僚とのコミュニケーションがしっかりとれていた方が自分自身が働きやすかったり、同僚と上司との会話に自分の名前があがったり……

実力以外の部分で評価がされたり、チャンスが回ってきたリという場面が多くあります。
社会人生活を数年続けないと気づけないことかもしれませんが……

ですがこの時期、就活の話題になったときに気になるのが「実力があるのに採用されない」とか「面接でなにを求められているのかわからない」といった発言です。

それって「学校」と「会社」で評価のしかたが根本的に違うのが原因なんじゃないかと思うんです。

学校はテストの点数で評価される「実力主義」

学校というのはテストの点数、成績で明確に順番がつけられますよね。
そうすると、テストで良い点を取れば順位が上がる、つまり正解を出せば上に上がれると思ってしまいます。

もちろん、授業と授業の間の休み時間を楽しく過ごしたり、休んでしまったときの分のノートを見せてもらったりするためにはクラスメイトと仲良くしておく必要はあります。
ですがトップをとるためには基本的に友達と仲良くしていようがしてなかろうが、関係が無いのです。

ゴマをすって内申をあげると「ずるい」

学業成績だけで評価されないのが「内申」です。
授業態度や学校生活などが成績に反映されるそうですが、ゴマをすって評価を高めることは許されません。

まず先生がゴマをすることを許してくれないでしょう。
ワイロなどはもちろんのこと、雑用を引き受けるなんていうことも「生徒にまんべんなくやらせたい」と思われてしまうか「いじめられてるんじゃないか」などと思われてしまいます。

また、クラスメイトとの関係にも支障をきたす可能性があります。
先生にゴマをすっていると、陰口を言われてしまったり「ずるい」などとののしられてしまったりするのです。

そうすると、先生にゴマをするメリットはないですから、まじめに授業に取り組む、部活動に励むというのが内申をあげる方法になります。
つまり「実直に取り組んでいれば、評価をする人は見てくれている」「実力があれば、評価される」という考が定着しそれ以外の方法で評価を得ようとするのは間違っていることという考えになってしまいます。

社会は実力だけがすべてではない

社会に出てみると実力主義だけではないことがわかります。

仕事の処理能力が高く実力があっても、取引先と関係を築けなければいけませんし、接待ゴルフや会食などのコミュニケーションを取らなくてはならない場面もあります。

上司に取り入るのがうまければ、より多くの仕事を教えてもらい、より大きな裁量で仕事を任せてもらえます。

学生の間は実力で評価されていたものが、社会にでて急にそうではなくなってしまうのです。
この差はかなり大きく、新入社員は戸惑うことでしょう。

そして「面接」は、大きな差が出る学生生活と社会人生活のあいだにあります。
この面接が、学生が社会人になるにあたり、最初に評価をされる場面ではないでしょうか。

面接でも実力が評価されると考え、正解を求める

テストなどで正解を求めることになれすぎてしまうと、面接でも正解を求めるようになってしまいます。
いわゆる模範解答というものです。

「この質問には、なんて答えるのが正解なんだろう?」

面接対策までして、正解を覚えこみます。

もちろん、面接対策自体は悪いことではありません。
面接という短い時間の中で自分の良さを最大限にアピールするためには、ある程度シミュレーションもトレーニングも必要です。

ただし、面接対策を「これが正解」として練習することと「自分の良さを知ってもらうため」として練習するのは、実際にやっていることは似ていても、得るものは大きく違うと思います。

まとめ

学生の意見として「面接で何を求められているかわからない」「人柄重視採用という企業の判断基準があいまいで納得いかない」などと感じるかもしれません。

ですが社会に出ると、そもそも何を求められているか明確でないこともたくさんありますし、実力で評価されないことも多いです。

「社会は甘くない」なんていうあいまいな言葉じゃなく、そういったことを面接の段階からすこしずつ教えるのも、周りの社会人の役目なのかなと感じます。